企業の社会的な責任。

80年代から90年代初頭の映画を観ると、今の時代の正義とはあきらかに異なると感じます。それを観て育った世代と、そうでない世代の考え方が違うのは当たり前でしょう。映画は、その時代の世相を反映していて、当時の世相や政治、時代背景が反映されています。

それは、まるで古い新聞を読むような事であるのと同時に、その映画が創り出された時の未来への切なる想いが希望として織りこまれているのだと思います。


現代では、様々なテクノロジーが開発され人間的な深みよりも、手軽さである事、安価である事が重視されています。マーケティングの勝利なのかもしれませんが、人間味はこれから先に残されていくのでしょうか。また、それを声を大にして主張する事を時代錯誤のような感覚で捉えられてしまう事は、私は寂しい事だと感じています。


手軽さも良い、安価も良い事です。しかし、それが世の中の誰の心を満たしていくのかを企業は考える段階に入ったのではないでしょうか。特に大手企業の創る製品は世界中に多く流通します。その責任は、人間の住む環境、時代背景さえ変えてしまうという責任があるのだと私は思います。


現代の最先端のテクノロジーを牽引するグーグルやアップル、インテル、フェイスブック。中でもその重要な位置にいるハイパフォーマーが、マインドフルネスの訓練を受けているのは何故でしょうか。

文頭でお話した映画の話。では、それを音楽に例えるとどうでしょうか。60年代~90年代に創られた音楽は、映画のように古い新聞を読んでいる感覚に陥りません。


それは何故でしょうか。音楽とは決して歌詞だけではありませんが、多くの人々が共感するのは歌詞の部分です。その歌詞は、様々な解釈ができる事で古い新聞のイメージがなくなります。初めは好きではなかった曲も、時代の変化と共に「この事を言っていたのか」そう思う瞬間を経験した方々も少なくないと思います。


自分自身の捉え方で、受け取り方も変わる。そういう様々な受け取り方の訓練がマインドフルネスには含まれています。


営業的な利益のバランスも必ず必要だと思います。けれども、それぞれの企業や生産者、開発者は世の中の動きを創る使命と責任があります。どんどん便利にだけでその責務が果たせるのかどうか、今一度考える時期に来ているような気がしてなりません。

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